匿名希望さんによる一日市から大手橋の昭和の変遷
【写真提供者】
遠野市在住・男性・70代
【写真の説明】
写真1~3 拡幅工事前の道路(一日市地区交差点から大手橋方向を写す)
写真1 車2台がギリギリすれ違うような狭い道路だった この道路の左手には江戸時代から続いた豪商村上家の大きな蔵があった (パチンコ店開業時に取り壊される)
写真2・3 奥には大手橋のたもとにあった消防の望楼(昭和62年10月25日取り壊し)が見える
写真4 工事後の道路(写真1と同じ地点から。奥には昭和55年に開館した図書館博物館が見える)
写真5 拡幅工事前の道路(大手橋から駅方向を写す)
写真6 工事後の道路(写真5と同じ地点。拡幅工事に伴い大手橋も新しく生まれ変わる)
写真7 拡幅工事区間(一日市地区~大手橋)
【拡幅工事について】
これらの写真は、昭和62年頃に行われた拡幅工事の工事前と工事後の様子です。工事区間は一日市地区交差点から大手橋までで、写真7に見られるように県道(遠野住田線)と市道に区分されていた。なお、この区間の着工前にはJR遠野駅から一日市地区交差点までの拡幅工事が終了していた。新しくなった大手橋は昭和63年3月26日に開通した。
この工事後には、JR遠野駅に隣接する物産センターがオープンしたほか、バス・タクシー乗り場を備えた駅前ロータリーの整備、市民や観光客が集うふれあい広場の完成、下一日市地区の区画整理事業の着手など、徐々に中心市街地の整備が進み、現在の姿になった。
【当時のエピソード】
拡幅工事は、道路の両側の区画を削って行われ、工事に伴い移転した住民もいました。
大手橋の側にある新里豆腐店には、福泉寺に拝んでもらって掘り当てたという水があり、お店の方は、大手橋の工事によって水が切れてしまわないか心配されていました。水道の水は季節によって温度が変わりますが、湧き水の温度は一定しており、いい豆腐作りには欠かせないということです。幸い水が切れずに済みました。
工事前の大手橋の橋名板には、大正の年号が刻まれていたと記憶しています。工事関係者から、鉄筋の代わりに竹が使われていたという話を聞きました。自分の目で確認してみれば良かったと思います。新しい大手橋は重厚な石の高欄を配し、親柱のモチーフには早池峯神社の石灯籠がデザインされ、かつての鍋倉城に入る手前の大手橋をイメージして城下町らしさを表現したものになりました。