創造の源としての会員特典 /佐々木大輔 

はじめに

はじめまして。起業家・作家の佐々木大輔と申します。程洞稲荷神社の修繕工事の寄付金集めのプロジェクトや、「Game of the Lotus 遠野幻蓮譚」という観光ゲームや、「TONO DAO」というオンラインコミュニティを運営しているご縁から、会員コラムを書く機会をいただきました。

滅多にない機会なので何を書くか悩みましたが、やはり、自分がもっともワクワクしている内容をお伝えするのが一番だろうと考え、私が「遠野文化友の会」の会員特典をどのように楽しんでいるかをご紹介しようと思います。

会員特典はふたつ。年に一度「遠野文化フォーラム報告書」を郵送で受け取れることと、「遠野市立博物館」を初めとする文化施設へのフリーパスがもらえることです。これによって、遠野に関わる研究にふれるきっかけが定期的に得られ、さらに、過去の膨大な資料を自由に深掘りする場所を得ることができます。それら研究資料は、「遠野」という限定された地域の話なのにも関わらず、知的好奇心をもつ人々の関心に応える広さと深さがあり、まったく飽きることがありません。それどころか、私は毎年のようにあらたな知的興奮を味わい続けています。

その事例をいくつか挙げてみたいと思います。

『大地の五億年』(藤井一至)と『植物のフォークロア』

河合隼雄賞を受賞した『大地の五億年』(藤井一至, 2015年)という優れた本があります。身近にある「土」を通じて動植物の5億年という時間を描いた作品で、2022年に文庫化されたのをきっかけにさらに多くの読者を得ています。

昨年、私がこの本を読んでいて特に関心をもったのは、土のなかの栄養の移動によって人類史や近代史を描こうとしている第3章でした。日本の人口動態を土から読み解く内容には、土壌改良のための石灰を売り歩くセールスパーソンとしての宮沢賢治の苦悩なども挿話として描かれていて、東北に縁ある者は特に興味を引かれます。

そのなかに、土のなかのリンや窒素を回復するための肥料の話が出てくるのですが、フン尿や落ち葉の他になんと木の枝まで田んぼのなかに鋤き込んだというのです。そのため、米の生産力を上げようとする地域では山がはげ山化していったそうです。

私の驚きは「枝まで!?」というところにあったのですが、この話を読んだあとに「そういえば」と私が思い出したのが『植物のフォークロア』(遠野物語研究所, 2022年)です。


遠野市立博物館の書籍コーナーで買い求めて本棚に収めていたものを取り出して拾い読みすると、在野の植物研究家・三浦徳造さんのお話のなかに、該当するエピソードがありました。

田んぼさ草も入れねばね。草ばりで間に合わねがら木の枝も入れるわげです。トヂの木であろうとナラであろうとす、みな刈ってきて入れだんでやんす。だから今はす、一反部がら十俵どがって四斗俵とる話、聞ぎやすとも、昔の話だと五俵もとれば大豊作なんだ。肥料ねがらす。その後、ほら色々の石灰窒素どがアンモニアどがっていうのが出回って、まあ七俵とったどが、六俵とったどがっていう話も聞ぎやんす。とごろが現在になったら、その化学肥料がいげねがらっていうごとになって厩肥を使えってこいうごどでがんすがどういうもんでやんすか。みなさんがそういう辺はお考えになった方がいど思うんで…。(p185)

当時はバラ科の枝まで鋤き込む人もあって、田んぼ仕事の際に足袋や皮膚が切り裂かれることもあったといいます。三浦さんの話はこのあと季節の山菜の話になり、植物を通じた遠野の風景・歴史・生活などがいきいきと語られます。昔は早池峰山から採ってきた高山植物を育てていたという話や、急性膣炎や淋病に効く薬草の話など、興味が尽きません。

現在私たちが「山」と言って思い浮かべられるのは、手入れのされていない雑木林か、踏み慣らされた登山道か、そういったものばかりですが、こうした話を集めていくとずいぶん多様な山の姿が見えてきます。

たとえば物見山。今では全体が雑木林になっていますが、16世紀末、阿曽沼氏がその拠点を横田城から鍋倉城に移したころは、まだ鬱蒼とした太古の森だったようです。やがてあらたな城下町が栄えるにつれて建材としてカツラが切り出され、家畜のための採草地となり、田畑の肥料のために落ち葉や枝も無駄なく活用されるようになり、今とはずいぶん違った見晴らしの良い山になっていったようです。

それが再び雑木林になる頃、明治になると、鉄道の敷設による枕木の需要や、都市化が進むことによる炭の需要で再び森林資源が大規模に刈り出されました。物見山でウサギ狩りなどの追い込み猟ができたというエピソードは、おそらくこの頃の話だと思われますが、今は再び雑木林となり、そのような面影を探すのは難しくなっています。

一方、採鉱や砂金採りといった理由で森に手が入れられ、見晴らしのよい森が広がっていたと思われる山もあります。たとえば小友の鷹鳥屋は、その名の通り鷹を獲って売り買いする鷹匠が住んでいた地域ですが、それはつまり、ネズミや鳥といった肉食の餌を好む猛禽類が見通しの良い山を好んだことと関係があります。そう考えると、金山で賑わい、森林資源がよく使われた小友の見晴らしのよい山の姿が、なんとなく想像できるような気がしてきます。

近代になるまで踏み荒らされることのなかった遠野三山、段階的な都市化とともに姿を変えてきた物見山、採鉱や砂金採りが栄えた小友や佐比内、それぞれの山や森の違いがイメージできるようになると、読書や散歩やドライブが、またさらに楽しくなります。

『雨天炎天』(村上春樹)と遠野ハリストス正教会

また別のお話です。村上春樹の紀行文に『雨天・炎天』(1990年)という作品があります。ギリシャ正教の聖地・アトス山を訪れる内容で、現代的な文明とは隔絶された半島で大昔からの祈りと生活を続ける人々と、それとは対照的なに都市で著述業を営む作家の姿が描かれています。

数十年前に初めて読んで以来「世界にはこのような宗教、このような場所があるのだな」という驚きを印象的に覚えていたのですが、このギリシャ正教と同様の教えを守っている「ハリストス正教会」がなんと遠野にもあるということを知り、つい先日、ちょっとした幸運からそのミサを見学させていただくことができました。

遠野ハリストス正教会があるのは土淵。遠野市街から車を運転していくと、かっぱロードを途中で右に外れてすぐのところにあります。教会の正式名称は「遠野正教会・聖太祖アウラアム・サッラ会堂」。遠野で信仰が広まった明治期から、主に家庭を中心として活動されてきたそうですが、2013年5月、ついに集会所となる教会が建てられました。その中は、神秘的かつ家庭的な温かさを感じさせる、実に素晴らしい空間でした。

ミサで神父の説諭を聞き、あとからその場に招いてくれた友人の説明を聞いて私が理解したところによると、正教つまりオーソドックスの教えは、いまの私達が馴染んでいるカトリック的な善悪とも、儒教的な仁や礼といった価値観とも違う、大昔からの家庭的な道徳観を伝えているように感じられました。そう理解してみると、「なぜ土淵のような場所で、キリスト教が篤く信仰されてきたのか?」という疑問も、自ずと解消されていく感じがしました。それは私達の暮らしと異質なものなのではなく、農業を中心とした家庭的な暮らしのなかに、大昔からの教えがあたりまえのように馴染んでいっただけである、と言えるのではないかと。

そんなことを考えるうちに、ここ土淵は佐々木喜善が柳田國男に語って聞かせた『遠野物語』の中心地であることにも、当然ながら思い至ります。明治期に信仰が広がったということは、喜善もそれを知っていておかしくないはずですし、それどころか、水野葉舟の報告によれば、喜善の家には「安良衛(あらえい)」や「レウラ」「マリア」というクリスチャンネームをもった下働きがいたそうですから、キリスト教にも親しんでいたと考えるのが自然です。

それについて調べられたものがないかどうか本棚を探していると……ありました。2018年の佐々木喜善賞で特別賞を受賞された水口優明さんの論文「佐々木喜善とハリストス正教会」です。


 

喜善は18歳のとき(1903年)にプロテスタントの信徒となり、東京にいた頃に日本ハリストス正教会の本部であるニコライ堂の神学校でロシア語を学びました。その後、キリスト教の影響が色濃く出た小説や随筆などの作品をいくつも残しています。

『遠野物語』への興味から喜善を知ったほとんどの人にとっては、キリスト教徒であった喜善の精神性が、作家・昔話収集家としての喜善とどう関連するのかつながりが見出しづらいところがあるのですが、ことの順番はむしろ逆で、土淵の自然や生活のなかから、そうした信仰や作品の数々が生まれていったというわけなのです。

そのように考えたとき、私にはもうひとつ納得のいく話がありました。『遠野物語』の第二話で描かれる遠野三山の姫神たちによる「花を盗った話」です。

これは、現代の価値観からすると違和感のある「盗みに寛容な早池峰の女神様」の誕生神話ともなっているのですが、しかしその違和感は、「罪は罰せられねばならない」とする比較的最近になって埋め込まれた価値観から生じているものなのかもしれません。もちろん、盗みはいけないことに違いないけれども、盗まざるを得なかった人々を許し、盗みさせた世間から守る、そのような原始的で家族的な道徳観が古くから存在し、それが反映されたものと考えることができるかもしれません。

神父が説いてくれた「ルカによる福音書」の「放蕩息子のたとえ話」を聞きながら、私は、放蕩息子を憐れむ父に、盗人を赦す女神を重ねていました。喜善はこの話を、実際にどのような口調で柳田に語って聞かせたのでしょうか。

創造の源として

ご紹介した例はいずれも、書籍として残されている「遠野物語研究所」や「遠野文化フォーラム」の研究成果が、あたらしい文脈のなかに取り入れることができたという個人的な体験談です。しかし、こうした体験は個人にとどまらない広がりをもっています。

遠野物語関連の資料のなかでも、昨年開催された展示「遠野物語と呪術」(遠野市立博物館)は大きな話題になりました。漫画・映画・アニメ等で大人気の作品『呪術廻戦』(芥見下々)等によって「呪術」や「呪物」に関心を持ったお客様が数多く足を運び、パンフレットが早々に売り切れてしまう騒ぎが起こるほどでした。


このパンフレットは残念ながら売り切れてしまっているのですが、遠野市立博物館の販売コーナーでは、今でも、過去の展示のパンフレットやカタログを販売してくれています。その充実っぷりがものすごいんです。

 

博物館刊行書籍 通信販売のご案内 - 遠野市

通信販売も可能となっていますが、あまりに量が多いので、私は博物館を訪れるたびに、そのときの関心にあわせたものを買い足していくようにしています。そうやって集めた書籍が、さまざまな関心や知識と結びついてあたらしい洞察を与えてくれます。その体験は、遠野に関心をもつ人々のみならず、歴史や民俗を自らの創造の源にしようとする人々にとって、他に代えられない知的興奮を提供してくれるものになっています。それが楽しい。だから私は、飽きることなく何度も博物館に足を運んでいます。