【特別寄稿】別れのことば 前遠野文化友の会会長•小井口有さんへ / 赤坂憲雄
小井口有さん、
あなたの訃報に触れて、途方に暮れています。
心がざわついており、いつまでも静まりません。
ご病気については、うかつにも気づかず、きちんとお別れをすることができなかったことが悔やまれます。
いつも小井口さんと呼んでいたので、ここでも、そう呼ばせていただきます。
小井口さん、
あなたと初めてお会いしたのは、たしか三十数年前のことでした。
わたしたちはいまだ、三十代で、とにかく元気いっぱいの働き盛りでしたね。
わたしははじめての柳田国男論を書いたばかりで、
その、どこの馬の骨とも知れぬわたしが、遠野を二度目に学生たちといっしょに訪ねたとき、
なぜか、あなたと似内邦雄さんが親しげに迎えてくれました。
それから、意気投合したのか、とても濃密な付き合いが始まりましたね。
わたしはやがて、遠野との縁もあり、東北に拠点を移しました。
あなたに選んでもらった車に乗って、免許を取り立てのわたしは、東北中をあぶなかしく駆け回ることになりました。
お陰で、わたしの車はずっと岩手ナンバーでした。
その頃、あなたは遠野常民大学の運営委員長でしたか。
後藤総一郎先生を導きとして、柳田国男の著作に学びながら、
ひたすら文化の力によって、あくまで生活に根ざしながら、この遠野を元気にしようと働いていましたね。
思えば、すべては当然のことに無償のボランティアであり、
あなたが情熱をこめて、子どもたちの未来のために、少しでも希望のある遠野を残したいと、くりかえし語る姿を、いまも忘れることはありません。
そう言えば、遠野ではいつか、あなたの主宰でわたしの出版記念パーティをしていただきましたね。
家族みなで、あたたかく迎えていただいたことは、けっして忘れません。
それが、わたしの人生でたった一度の出版記念パーティです。
あなたはヤンチャな少年のようなところがありましたが、同時に、大人の気遣いができる人でもありました。
息子さんが、「民俗学を勉強したい、と言いだしたよ」と、少し困ったような顏をして相談されたことがありました。
わたしは「やめたほうがいいよ、民俗学なんて黄昏だから」と答えながら、「でも、ぼくは黄昏が好きなんだけどね」と呟くと、
あなたは嬉しそうに笑い、わたしもつられて笑いました。
その息子さんも、そして、娘さんも立派に成長されましたね。
そんな会話を交わすことができるあなたは、やはり大切な友人でした。
あなたと二人、野の花を摘んで、荻野馨さんのお墓を何度もお詣りしましたね。
われわれ三人の大切な思い出です。
小井口さん、
あなたは十分に力を尽くして、戦いましたよ。
わたしは傍にいた者として、心から、そう思います。
どうぞ、安らかにお眠りください。
また、どこかでお会いしましょう。
二○一九年七月一三日 赤坂 憲雄(遠野文化研究センター所長、遠野文化友の会特別顧問)