「ストーンウォーズ・エピソード-2」その2/多田欣也

 ストーン・ウォーズ・エピソード-2

 家の前の道は昔の地図を見ると、物見小路という名前がついていますが、ここに住んでいる人でそんな言い方をした人は聞いたこともありません、しかし、何となく格好いいといえばそうかもしれません。

 その物見小路を真っすぐ北に昇ればすぐ国道のアンベ肉屋の交差点、街中で何度もおれる国道はここからしばらく真っすぐです、つまり我が家からは一本道となる。その国道は上組町まで行き最六兵衛茶屋の角を右に曲がり、釜石に向かうのである。そこを曲がらず、まっすぐいけば上早瀬の橋、松崎町に入り、八幡神社、土淵へと向かいます。早瀬川の橋が一番高い場所で、自転車に乗ると漕がなくても緩い勾配が付いていて、来内川の物見橋まで一直線に下っているのです、車の量も少ない少年時代は、止まることなく漕がずに家に帰れるか運試ししたものです。

昭和40年代の「一日市と穀町の交差点」直進すると上組町へ。
右は現在の遠野小学校(旧東小学校)方面、
左は一日市商店街へと続く。

 アンベさんの交差点の右は佐々木医院です、そして、馬喰業で名高い山尾の家があり、宮本医院、少し前まで馬検場だった市役所と続きます。その先は田んぼがあり東小学校になるのです。

 宮本医院の向かいあたりに遠野ホールという映画館がありました。私が生まれる一年前にできた映画館です。仲町の中劇も昭和29年のオープン、さらに33年には駅前に東映がオープンして、遠野の町に三軒の映画館があるという黄金時代を迎えます。遠野ホールは松竹や大映映画だったらしいのですが、小さい私はいつも、切符売り場の小さな窓の下を忍者のように隠れて入っていました、スリル満点で隠れて入るおなじみさんですが、やっている映画に関係なく、入ればいいのであって、結局は大人向けの外国映画だったりして、すぐに出てきました、しかし入るより出る方が難しく少年たちはいつも見つかり、切符売り場のお姉さんにいつも怒鳴られ逃げ帰るのでした。

 どこの映画館も夜はナイトショーがあったり、ストリップもやっていたと思います。

 娯楽のない30年代後半まで映画館はいつも満員、通路に木の丸い椅子まで出してみんな入れていました。東京オリンピックなどは学校行事でみんな揃って授業中に見に行きました。

 そのころ我々少年はゴジラなど怪獣映画専門でしたか、一緒に上映される若大将シリーズは怪獣より夢の世界すぎてぴんと来ていませんでした。

 中学になると東映では高倉健などのやくざ映画や不良番長シリーズが出てきて、もちろん学生は禁止だったので不良気取りの高校生たちは次々と補導されていました。

『エルビス・オン・ステージ』の特別鑑賞割引券

 中学のクラスメイトに一日市の商店の息子がいて、そこの店の前には映画館のポスターを張る場所がありました、そういうところにはただで見れる券を置いて行きます、いつでも見放題の彼を羨ましく思ったものです。

その映画もテレビに押されて衰退しホールと中劇が閉館したのが昭和40年代前半、最後まで残った駅前の東映は58年まで頑張っていました。私はいつも最終日の夜、最後の回に見に行きました、終わって出ると映画館はポスターの張替えをしています、その剥がしたポスターがほしかったのです、タイミングがいいと良くもらえたものでした。今でも映画館用の細長いポスターを大切にしております。

『遠野東映で上映されたポセイドン・アドベンチャーのポスター』
遠野のお店の広告、お店と連動した招待券など、現在の映画館のシステムと比べるとより地元と密着した娯楽であったのが伺える。