わたしの『遠野物語』/市川一秋
昔あったずもな…
遠野との出会いはおよそ50年前(はんせいきまえ)、私がまだ小学生の頃に遡る。伯父が勤めていた発電所を訪ねた時のことである。
私は伯父に連れられて、初めて遠野の地を訪れたのである。
遠い記憶にかすかに残る遠野の思い出は、残雪の残る渓流と緑の山々。そして「とおの」という聞きなれない地名の響きだけであった。
月日は流れ、私は柳田国男の『遠野物語』という一冊の本に出会った。
座敷童におしらさま、河童に山男。そして、そこに暮らす人々…。この不可思議な物語の主人公たちが闊歩する「とおの」って、どんなところなんだろう。物語の世界へと引き込まれていく私の脳裏に「とおの」というどこか懐かしい響きがよみがえってきた。
私が遠野に通うようになったのは、この時からだと思う。
それから数十年。月日と共に姿を変えてきた遠野。しかし、遠野は何時も私に新しい発見とワクワク感を与えてくれるから不思議である。そして、私自身の遠野物語の頁がどんどん埋まっていくから、これまた何とも面白い。
今年(2019年)は、私にとって、遠野とのあらたな出会いを求めて一歩踏み出した記念すべき年であり、自称「とおの一年生」のデビュー年でもある。
どうやら、私の遠野物語はまだまだ終わりそうにない…。
どんど晴れ…