信じること、託すこと │ 連載「つれづれの遠野」vol.2 / 赤坂憲雄
今年の夏、台湾を再訪した。
あらためて驚いたことがある。どこにでも若者がいて、仕事をしていた。税関で人々を誘導していたのは、若い女の子たちだった。わたしはふと、井上ひさしさんの『吉里吉里人』の冒頭近くに登場した、税関職員の中学生が思い浮かんで、うれしくなった。税関の付近はどこの国でも、武装した兵士が警戒していて、独特の緊張感が漂っている。台湾の税関ののどかさに、関心をそそられた。
それから、ホテルでも博物館でも芸術村でも、どこでも、働く若者たちに出会った。台南のあるホテルなど、運営のほとんどの場面が若者たちによって担われていた。とてもセンスのいい、快適なホテルだった。芸術家たちが関わって造ったホテルだと聞いた。だから、特別な場所であり、ただちに一般化はできないのかもしれない。見聞はいかにも限られたものだ。
とはいえ、同じように芸術村であっても、たとえば北京のそうしたエリアは巨大すぎて、国家の意志のようなものを感じずにはいられなかった。それと比べると、台湾の芸術村は若者たちの自主運営に任されているようで、ゆったりした感触があった。そうした感想は、大きくは的をはずしていないと思う。
台湾の人々は、途方もない緊張感を底に沈めながら、どこでも不思議に若やいだ前向きさを感じさせる。すくなくとも、ここでは若者たちが信頼され、大きな役割を託されている。若い人たちが子どもを産み育てることへの、手厚い支援がある。いわゆるLGBTについても、台湾はアジアの先進地域になっている。大臣までとても若い。
たんに、経済的な豊かさがもたらしたものではない。ある台湾の知識人が、「ひまわり学生運動」と呼ばれる、学生たちが立法院(国会議事堂)を占拠した2014年の運動に触れて、「あれがきっかけとなり、若い世代への信頼が生まれて、将来をかれらに託そうとする空気が生まれた」と話していたことが、強く印象に残っている。
ひるがえって、わたしたちの社会はどうか。若者たちを信じて、将来を託す、といった空気は生まれているか。わたし自身もすでに、老人の仲間入りをしている。大きなことは言えない。しかし、若者たちを犠牲にして生き延びようと足掻いてきた社会に、明るい未来が訪れるとは思えない。
若い世代を信じて、かれらに将来を託すこと。託したならば、足を引っ張らずに、それを静かに根気強く支えること。それこそ、わたしたちがいま、学び直さねばならない最大のテーマなのだと感じている。
遠野文化研究センター所長 赤坂 憲雄