失われた世代に目を凝らす│連載「つれづれの遠野」vol.4/赤坂憲雄

閑話休題。
今回は、『福島民報』2019,3,3に書いた原稿を転載します。実は、これ、ひそかに遠野のいまに思いを馳せながら執筆したもので、あらためて遠野の若者たちへのメッセージとして読んでいただければいいなあ、と思います。

 ~失われた世代に眼を凝らす~
わたしは一九九○年代前半に大学の教員になった。バブル経済がはじけて、神戸の大震災とオーム真理教事件が起こり、いわゆる「失われた二十年」へと日本社会が突入していった時代だ。美術やデザインを専門的に学ぶ学生が大半であったから、卒業後にきちんと就職するという空気は稀薄だった。だから、その時期からすでに、就職氷河期が始まっていたことに気づいたのは、ずっと後のことだ。

わたしの教え子たちはいま、三十代から四十代半ばになっている。かれらは「ロスジェネ(失われた世代)」とか、「捨てられた世代」とか呼ばれている。二〇〇〇年代前半には、四人に一人がアルバイトか無職で大学を卒業していった、という。せっかく就職しても長続きしない。我慢が足りない、飽きっぽいなどと、悪評が散々投げつけられた。非正規雇用が眼に見えて増えていった。「自己責任」という言葉が大手を振るって、まかり通る御時世となっていた。
しかし、自己責任では覆い隠せない現実があった。教え子の女性が幼児の芸術教育の分野で、独創的な研究書を刊行し、都内の大学の専任講師になったと聞いて、お祝いのメールを送った。返信メールを読んで、驚きあきれた。「一年更新の契約なので、学長以下、すべての教員がつねに就職活動をしている」という。極端な例外ではあったはずだ。とはいえ、大学とはかぎらず、あらゆる雇用の現場が非正規の若者であふれ、不安定が常態化していることは否定しようもない。学生のアルバイトもまた、高度経済成長期の牧歌的なバイトからは隔絶して、あまりにブラック化している。
甲南大学教授の前田正子さんによれば、バブル崩壊以降、企業はそれぞれ人件費を削って、正規採用を減らして生き残った。そうして安定した仕事と収入を得られない若者たちには、結婚や出産は「ぜいたくなもの」となり、少子化がさらに進むことになった、という(『無子高齢化』)。

ロスジェネ世代の信頼する論客である雨宮処凛さんのエッセイを、ネットのなかで見つけて読んでいると、同世代の貴戸理恵さんのこんな言葉が引かれていた。「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりに傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠すると生活が破綻すると怯えた」と。雨宮さんはそれが、過去形で語られていることに、あらためて取り返しのつかなさを痛感した、と書いている(マガジン9「雨宮処凛がゆく」)。
この「失われた世代」が非正規と独身のままに高齢者となったとき、生活保護というセーフティネットはどこまで耐えられるのか。またしても「自己責任」という残酷な刀で切り捨てるのか。ひとつの世代を丸ごと犠牲にして、この社会が生き延びてきたことから眼を逸らしてはいけない。いまの三十代の女性たちのなかに、希望が芽生えつつあることが、うれしい。